保団連公害/飯舘村の現状を視察/菅野村長が避難の苦境を報告  PDF

保団連公害/飯舘村の現状を視察/菅野村長が避難の苦境を報告

 保団連公害視察会が10月15、16日に行われ、京都から飯田理事と事務局が参加した。今年の視察は、東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故発生によって放射能汚染が拡散し、多くの住民が避難している福島県、特に計画的避難区域に指定されている飯舘村の視察を行った。今回の視察には、「除染を優先的に行い、子どもを安心して産み育てられる福島にしていきたい。福島の現状を全国に発信していただきたい」と訴える福島市長の挨拶文が届けられた。

 1日目は福島市で、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏の記念講演と飯舘村の菅野典雄村長の特別報告が行われた。

 伊東氏は、「国策による災難『原発震災』―謝れ、償え、なくせ原発―現地福島からの報告」を講演。今回の福島原発震災は、被害の深刻さ、広がり、被害額の大きさ、今後の復旧・復興にかかる時間など、どの角度から見ても史上最大・最悪の災害である。我々は事故前に、東京電力に対しては地震の可能性を指摘し抜本的な対策を要請していたが、東電も政府も対策をとらず3月11日を迎えた。事故発生直後、政府と東電による放射能の情報隠しと県民に共通理解がなかったことがパニックに拍車をかけた。復興はおろか復旧でさえもままならない状況があるが、原発の廃炉運動を強めなければならない。福島を放射能と健康の研究、放射能汚染や除染の研究・普及、放射線防護学の人材育成などの教育拠点にすることも考えられる。原子力に頼らないエネルギー政策の転換、経済の仕組みが求められる、と訴えた。

中断した「までいライフ」

 菅野村長は、「『お金の世界』から『いのちの世界』へ」と題して講演。日本は原発事故で、「世界一安全な国」から「世界一危ない国」になった。飯舘村では“スローライフ”を求め10年計画で「までいライフ」という取り組みを行ってきた。「までい」とは、親切で、優しく、丁寧に時間をかけて、心をもってということ。計画の7年目であった。原発事故で一転した。村民6千人の多くが福島市や他県に避難している。コミュニティは一旦崩れたが、できる限りコミュニティを守っていけるように取り組んでいる。村民の健康を第一に考えながら、家の周りや田畑などの除染を行うつもりだが、本来国が責任をもってやるべきだ。事故を通してますます暮らし方を考える必要があると思う。快適さではなく、引き算の中に生活を見出すことが大事。早期帰村が復興の原点である。権限と裁量権を各市町村に与え、国と共に復興を行っていきたい、と語られた。

コミュニティ維持に努力

 2日目は、飯舘村を視察。菅野村長が、村役場、村営の本屋、特養など「美しい」「のどかな」飯舘村を案内した。しかし、放射能汚染により村民はほとんど避難。特養の入所者は、特養内の線量が低いので国と交渉しそのまま入所。スタッフは交替で勤務、線量計をつけて積算線量を管理している。さらに空き巣対策として、職を失った各地域の住民が交替で組をつくり、線量計をつけて防犯パトロールを実施するなど、地域のコミュニティを維持できるようにしている。

 当日の飯舘村の放射線量は、村役場前の線量計が、2・59μSv/hを示していた。木の根元では5・50μSv/h、本屋の雨どいの下では8・8μSv/hであった。国が定める放射線量基準値(限度)は、通常時では1mSv/年で、1時間換算では約0・114μSv/h、事故時(復旧時)については20mSv/年で、1時間換算で約2・283μSv/hである。通常時基準値から考えると、大気中でも22倍を超える。また事故時であるとして緩和されている基準値との比較でも、大気中の線量は若干高く、さらに木の根元では2倍以上、雨どいなど水がたまる所では4倍近い放射線量であった。

 放射能汚染で人が住めないのが嘘のような「自然に恵まれたのどかな村」であった。そのことが、無色・無臭の放射能の怖さ、原発事故の悲惨さ、原発の持つ非人間性を物語っていた。

2.59μSv/hを示す飯舘村役場の線量計

2.59μSv/hを示す飯舘村役場の線量計

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