何故、原発訴訟は負け続けであったのか/特別寄稿 弁護士 莇立明  PDF

何故、原発訴訟は負け続けであったのか

特別寄稿
弁護士 莇 立明

 1973年以来、日本の原発訴訟は、ことごとく住民敗訴となっている。その数は1、2審、上告審を合計して33件。例外は、1985年「もんじゅ」2審判決、1999年志賀原発1審判決の二つだけ。いずれも上級審で逆転敗訴した。

 脱原発弁護団連絡会代表河合弘之弁護士は言う、「膨大な時間と労力をかけてきたが、やっても、やっても負ける。屈辱と徒労感ばかり。大変苦しい闘いである」(10・19朝日新聞)。

 3月11日の福島第一原発事故以来、原発の安全性は、大きな危惧、疑問に晒されている。

 それまでは、「原発は安全・安心」キャンペーンが国民に行きわたり、裁判官達もその宣伝に洗脳され、原発は安全との予断を持って裁判に臨んだようだ。原発は国策でもあり、大きな事故も起きていない。専門的、技術的知識が必要。しかるに原発の具体的危険性まで判断することは裁判の職務の範囲を越える。裁判官達の姿勢も消極的であった。このような雰囲気の中で住民側が、国や電力会社相手に、原発の設置無効や運転停止を求めて訴訟で対等に主張・立証を展開し、勝利の展望を持つことはそもそも至難の業であったろう。

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 しかし、弁護士は、習性として、負けを予測しつつも、どこかで裁判に勝訴する可能性に賭ける。国の行政処分、行政行為の違法を争う行政訴訟は初めから困難である。行政行為は適法なものだとの推定があり、余程の違法性がないと原告勝訴は難しい。民事訴訟でも、科学技術の粋を凝らして、専門家の知見を集めて造った原子炉を危険物と見做し、その欠陥、安全性に疑問を突きつけ、設置・運転の違法性を引き出すことは容易ではない。弁護団は弁護技術的に、どこを切り口として原子炉の欠陥、危険性を暴きだすのか。どこに勝訴の成算を立てて来たのか。多くの原発訴訟を手掛けた海渡雄一弁護士は次のように言う。

 最高裁は、1992年10月29日伊方原発につき、住民の原子炉設置取消請求を棄却した。この判決は、原子炉施設の安全性審査の基準は、「放射能による深刻な災害が万一にも起こらないようにするため、施設の位置、構造及び設備の安全性について、科学的、専門技術的見地から十分な審査を行わせることにある。その違法性の判断は、現在の科学技術水準に照らし、調査・審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断が、その誤りに依拠してされたと認められる場合には原子炉設置が違法であると判断すべきである」としている。この判断の枠組みは、原子力の専門家でない裁判官が適切な判断を行う上で有効に機能しうるものと理解する。何故なら、この判決は行政庁が、施設の位置、構造及び設備の安全性について「不合理でないことを相当の根拠、資料により主張・立証しない限り、行政庁の判断の不合理性が推認される」としているからである。これは、最高裁が、かなり高いレベルの安全性確保を原子力発電に要求したものと見るべきだ。したがって、この判決を積極評価し、国や電力会社の立証責任を徹底して尽くさせるよう弁護活動する(雑誌「世界」2011年7月号)。

 かくして、各地の裁判所が、この最高裁判決の基準にしたがい、原発の具体的欠陥、危険性を究明し、被告側を指弾してくれる道筋ができたとして、裁判に期待をかけてきたのであった。しかし、結果的には、この期待は裏切られた。

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 一方、当時の下級審裁判官達はこの最高裁判決の読み方が異なっていた。「国の審査指針は専門家が集まって作ったのだ。司法としては見逃すことのできない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重する」との趣旨だと理解する、これが今後の司法の流れを主導するとし、その趣旨に沿った判決を書く裁判官が続出したという(前記朝日新聞記事―海保寛元裁判官の発言)。その代表的判決が、2006年金沢地裁の志賀原発2号機の差し止めを命じた井戸謙一裁判長の判決(本紙2796号に紹介)を覆した2009年3月18日名古屋高裁金沢支部判決である。一審で負けた北陸電力は争点の地震動と原発の耐震性に関する「科学的証拠」文献を法廷に累々と積み上げ住民側を「圧倒」したのである。しかし、この「証拠」は、行政側の一方的な専門情報であり、住民側はチェックする術もなかった。裁判所はこれらの電力側の情報に圧倒され、それらには「合理性がある」として、それ以上に司法審査をする気迫はなかったと見える。

 1992年伊方原発最高裁判決は、このようにして、その後の下級審裁判で、原発施設の位置、構造、設備の審査における「合理性」の有無が勝敗を分ける分岐点として機能した。故高木仁三郎氏(核化学者・反原発運動家)は言う。「裁判というのは、原発が合理的であるかどうかを議論しているが、原発が、良いか悪いかの問題とはなっていない」。結果を見るとき、国民から遊離したところでの議論となっていたかも知れない。住民側勝訴は期し難いことであった。

 しかし、今や、福島第一原発事故で状況は変わった。新しい情勢の下で、住民・弁護団は訴訟戦術を練り直して臨もうとしている。(2011・10・25)

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