主張/反原発へ  PDF

主張/反原発へ

 福島原発事故のあと、「脱原発」が大きな潮流になりつつあり、それをどう進めるかとともに、事故対策、特に被曝対策が今と今後の課題であると思われるが、ここでは原発の別の側面について少し述べておきたい。

 (1)原発では毎日のごとく、大小様々な故障、事故が起こっている。それらを見つけ修理をするのは、多くは被曝が起こりうる放射線管理区域である。さらに平常運転や定期点検においても放射線管理区域での作業が避けられない。原発の電力は被曝を前提とした電力であるといわざるを得ない。

 (2)50年前、国は原発事故の予測を行った。それによれば最悪の場合、死亡720人(内部被曝による晩期死亡含まず)、被害総額3兆7000億円(同年の国家予算1兆7000億円)。これらは国民に知らされず、13年後になって漏出し始めた。多数の死者が出る可能性を知りながら「安全神話」が流布され、国家経済の破綻の可能性を知りながら原発は建設し続けられた。

 (3)45年前、国は原子炉立地審査指針の原則的立地条件として「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと」と制定した。現在の原発がこの指針を満たしているか極めて疑わしい場合もあるが、今回の福島事故後に出された「津波対策」指示は、明らかにこの指針と矛盾し、国による法の無視である。

 (4)新しい(強化された)原発耐震基準が策定された。しかし策定に関わった地震学者から、現在ある原発が稼働可能な範囲に収まるよう設定されたとの疑義が出されたという。ならば福島原発をも含め合格も当然である。

 ここに述べたいくつかは、おそらくは我々が知り得た氷山の一角であろう。原発は政・産・学にわたる巨大システムであり、当然強力な管理機構を必要とする。さらにただ巨大というだけでなく危険性も大きく、未解決の問題を抱えたまま稼働するシステムであることも含め、管理機構が情報操作をはじめとする様々な問題をもつ危険性は常に存在する。国の経済がそれに依存するのなら、社会もまた強力な管理の下に置かれ、同様の危険を孕むことになる。さらに原発立地自治体とその電力を利用する都市との格差、原発労働者の受ける差別、「安全神話」がどのように流布、定着してしまったのかなど、原発のもつ様々な社会的問題を見極め、解決していくこともまた我々に課されたものではないだろうか。

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